この世界の片隅に (片渕須直 監督・脚本)
この世界の片隅に、観たよ。公開初日にも観に行ったんだけど、酔っ払っててオープニングのコトリンゴの歌声が気持ちよすぎて寝ちゃいまして。。リベンジしてきました。素晴らしかった。もう一回観に行きたい。
以下、軽くネタバレしてるかも。
大抵の戦争映画が三代目Jソウルブラザーズだとすれば、てか三代目の事何にも知らないのに勝手な事いうけど、三代目的にはまず描かなくてはいけないのは、血や暴力であったり、言論統制であったりと、とにかく悲惨な非日常だろう。それらを三代目的マッチョとすると、この映画は一見地味な星野源。マッチョさはほとんどない。でも知れば知るほどこれは大変な作品。いや星野源のこともほとんど知らないんだけど、多分彼はそうだろう。彼は変態だろう。
この作品は、戦争よりもまず生活がある。主人公すずの視点で丁寧に描かれる当時の生活は、のほほんとユーモアがあって、小津作品みてるみたいな心地よさ。トトロ的な世界観すらある。ただみてる観客は全員、この作品の向かうところが分かっていて、歴史を知ってる神視点を持っている。これからどんどん悲惨な事が増えていくだろうと、それは予想ですらなくただ当たり前の前提としてスクリーンをみている。それでこの作品が凄いのは、これから起こるであろうその悲惨な前提を、観客の神視点をことごとく跳ね返す。それはヒロインの一途な気持ちとか、ヒーローの活躍とかではなく、ほとんどユーモアで跳ね返される。例えば憲兵の場面、義父が寝落ちした場面、玉音放送の場面、戦後の場面など色々ある。戦争映画ならこうあるべきという展開が、ことごとく、あれ?と裏切られる。玉音放送の場面はユーモアではないが、そもそもそれ以外もよく考えればユーモアというより今の私達が持っている日常の感覚だ。それらの場面でドキッとする違和感は、それは戦争映画の展開じゃない戸惑いというよりも、当時の人達も自分達と変わらない感覚で戦中を生きていたという違和感だった。同じ感覚だなんていうと、それ当然だろ何いってんだって話なんだけど、戦争が何か圧倒的な力で有無を言わさず進んでいくものではなく、生活の中に徐々にクロスオーバーしてくる、そして中の人はいたって普通の感覚という怖さが、頭で分かってるのとは違ったレベルで身体に染み込んできた。
それは三代目に声高に戦争ダメ絶対!ピース!と叫ばれるよりも、イケメンアイドルがヒーローの戦争映画よりも、1000倍くらい心に残る表現。きっとそれは戦争でも原発でも普段のちょっとしたことでも何にでもそうなんだけど、そういうマッチョな表現に萎縮しちゃう人達に寄り添ってくれるような作品だと思う。
本当にのんが素晴らしい。クドカンの大河ぜひ出て欲しい。
#この世界の片隅に